モガキなワタシにごほうびを

自分を後回しにしてしまうワタシのモガキな日々。

覚悟ってやつがわたしには必要だ。

昨年からライターの仕事をはじめた。

仕事は思うようには、うまくすすまなかった。

 

依頼されるレベルの文章がかけないし

締め切りを守ることさえ、できないことがあった。

 

自分にはライターという仕事は無理かもしれない。

とんだ冒険をしてしまったものだ

 

安定した仕事をやめて

経験もないままフリーライターなんぞ名乗って。

 

すっかり言葉を扱う仕事をすることを

あきらめかけていた。

 

でも、先週

ちょっとした記事と詩をかく機会があって

久しぶりに言葉を書いて人にみてもらった。

 

「言葉がいいね」

 

わたしの文章を読んだ人がそう言ってくれた。

 

お世辞かもしれない。

深い意味で言った言葉ではないかもしれない。

 

でも、わたしにとっては

とってもとっても大きな言葉として

耳に心に入ってきた。

 

人から褒められるために

ライターの仕事を目指したはずではなのに。

 

人にいいねと言われると

単純にうれしくなって、うぬぼれて

やっぱりわたしは言葉を書いていく仕事をしようと

また考えを改めたりする。

 

なんだかなぁ。

 

もっと自分を信じてあげられる自分になりたいなぁ。

 

ひとつや、ふたつや、みっつくらいの失敗、挫折で

あきらめてしまう夢なんぞ

そもそもわたしの夢であったのかしら。

 

弱い決意のまま、なんの努力もせずに

夢なんぞ思い描いているんじゃねえぞ わたし。

 

荒波がきても、嵐が吹きすさんでも

やっぱりわたしはこの道を歩んでいく。

 

そういう覚悟がわたしには必要だ。

 

つろこ

病名を欲しがるわたし

「わたしは自己愛性人格障害である」という思いに囚われて

さらに、耳の中から変な汁が出てきて、耳が聞こえずらくなってあせった。

 

ざっくりいうと、昨日はそんな一日でした。

 

時間は過ぎ、今日はだいぶ落ち着いてきました。

 

なんでしょう、自分が自分で扱えきれなくなってくると、わたしは病名を欲しがります。そして、今の悪状況の原因を心の病のせいにして一旦クローズし

 

また、別の問題が出てくると、またその問題に相応しい病名を探しだします。

 

まぁ、これがうまいもんなんです。

次から次に自分の欠落を説明する病名をあてがうことが

 

誰にも自慢できないわたしの特技。

 

なんか役に立つかしら?

 

turoco 

 

恥部をサラケダセ! ~自己愛性人格障害~

 昨晩、夫が怖かった。

上機嫌でビールとウィスキー飲んだ後

暗く陰気なオーラが彼から漂い

ワタシは彼から遠ざかった。

 

「俺が故郷に戻ると言ったら、お前は付いてくる気はあるのか? 」

寝室に逃げ込もうとした私に、彼はドスのきいた声で言ってきた。

 

怖かった。

「戻る気はあるよ」

本心ではない、その場しのぎの言葉を吐き

わたしはベッドにもぐり込んだ。

そしてスマホで

「夫が怖い」と検索した。

 

その結果、

わたしは自己愛性人格障害ではないか?

という結論にいたった。

 

彼の問題もあるかもしれないが

わたしの人格に問題があるような気がする。

 

自己愛性人格障害とは

自分の才能、能力を過大に評価し

それに疲弊していく

 

「なにか特別なものを自分は持っている」という思い込み。

 

自分の実力を現実以上のものであると思い込むが

実際はそんなに能力はないため

それに疲れきってしまう。

調子がいいときはいいが

 自分の評価が下がるような状況になると

逃げこむ。ひきこもる。

 

人の批判を過剰に恐れ拒絶するので

長い人間関係を築きにくい。

老いるごとに、孤立していく。

まさしくわたしだ。

 

治療法を調べると

いろいろあるが

根治しないという説もあったり

いわゆるB型人間は、自己愛性人格障害のチェックリストに

あてはまる人も多いから気にしないほうがいいという説もあったり

 

なんなんだぁ~すっきりしない

あまりにも救いがないじゃないか!!!

 

でも、自分の幻想に気がつくことができた。

いつも過剰に自分に期待し、結果を出せない自分を責め続けていた。

それがわたしの生きづらさの一因だった。

 

もう他人から評価されることを渇望しなくてもいいのだ。

 

これからは、高い空ではなく自分の足元を見て生きよう。

 

turoco

スポーツにはてんで縁がない

今週のお題「スポーツの秋」「最近、体動かしてないからウズウズすんだよね。

体動かしてぇ~」

という元運動部の人達の言葉の真意を、わたしは一生理解できないことを確信している。

 

運動して汗を流すと爽快になる? 体が軽くなる???

 

わからない。

 

なぜ、わざわざ疲労することを自ら進んでしたがるのだろう?

 

しかも、彼らは自分でスポーツするだけでなく、赤の他人がスポーツをしていても

あたかも自らがその試合に参加、もしくは監督になったかのようにスポーツ観戦を暑苦しく楽しむ。

 

まったくわからない。

 

スポーツの喜びを、わたしは一生知らずに死ぬのかもしれない。

 
なんか急にさみしくなってきた。

 

けれど、自分の肌にあわないものってある。

 

スポーツして笑っている自分を想像できないんだもの。

 

しかたがないさ。スポーツと仲良くなれなくたって

 

少し不健康なままでも、わたしなりに生きていけるはず。(←ほぼ強がり)

 

まぁ。ちょっとくらい歩みよってあげてもいいけどね。

モガキを卒業だ~!

今週のお題「2020年の私」7年後の自分を想像してみました。

できれば、今より心が安定していて穏やかな暮らしをしているといいなぁ。

 

今通っているWEBの学校でスキルを習得して、WEBデザイナーの仕事がフリーでできていて、日本中、いや世界中どこにいても仕事ができていて

 

好きな言葉を書き綴って、ある程度の生活ができるくらいの収入を得ていたら素敵だなぁ。

その時、わたしの傍らには、愛しい赤ん坊はいるのだろうか?

今は、結婚10年目の慣れきった熟年夫婦みたいな

精神的にまだまだ大人になりきっていない私達に子供はいるのかなぁ。

 

今まで、あまりに身勝手に自分、自分で生きてきてしまった。

だから、7年後のわたしは誰かのために生きているわたしでありたいなぁ。

 

 

親戚の家での肩身の狭さったらないのさ

親戚の家に行くのは大嫌いだ。

 

「ずいぶんと体格がよくなったなぁ」

 

「農家の嫁っていう体格だ。農作業はしているのか? 」

 

「早く子供産まないと」

 

おじの言葉に、心が急速冷凍した。

 

まぁ。確かに、農家の嫁だし、農作業は好きだけど

 

そんな言い方されると、とても惨めになってしまう。

 

子供を産めといわれても

 

わたしひとりで産めるものではないし

 

この年で子供がいないんだから、それなりの事情があることを察してもらいたい

 

なんて、ことは高望み過ぎだろうか?

 

 

なまじっかある血の繋がりが、彼らを無配慮にする。

 

どうにか、苦痛の30分間をやり過ごし

 

こうして、こんなブログを書き

 

どうにか心を落ち着かせようとしている。

 

久しく会って、まず、デブ具合を指摘されなければならないほど

 

きっと、私は太っているんだろう。

 

自覚せよ ということか?

 

もっと、心地よい会話が、親戚の間で話されてもいいのではないか?

 

独身、子供がいないこと。

 

親戚という集団は、それをイケナイことだと認識しているようだ。

 

肩身が狭い私の視界に

 

三人の子供を引き連れた姉はどっしりと座る。

 

 

 

 

 

 

 

動かないことのデメリット

しばらく、訳もなく落ち込んでいたけど

昨日の甥っ子の誕生日を完全に忘れていたという失態を犯して、底のそこに辿り着いたので、ちょっと心が浮上してきた。

毎年、誕生日プレゼント贈っていたのにな。当日届くように。

なんですっかり忘れていたんだろう。このバカ熱い猛暑のせいだ~と言い訳してもどうにもならず、幼い甥っ子の期待を裏切ってしまった。あー取り返しのつかない失敗したのに、

 

なぜだか、あ~このままダラダラしてたら、またこんな人を傷つけてしまうんだろうなと思ったんだ。

安全な家にこもって、なにもしなければ、自分は傷つかないし、誰にも嫌な思いはさせないと思っていたのに。

なんにもしてないのに、なんにもしてないで、日付も忘れちゃうくらいボーっとだた呼吸をして生きていたせいで、幼い甥っ子を傷つけてしまった。

 

うー、なにもしなくて人を傷つけてしまうくらいなら、自己満足でもいいから誰かのために動いて、それでも誰かを知らない間に傷つけていて、プラスマイナスゼロになるくらいのが、自分が生きるうえで気持ちよいのではないか。

 

動かないことのデメリットにようやく気がついてきた。

 

turoco